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井入 宏之Hiyoyuki Iili
GT-Rチューンは入れ込んだね
タービンもどんどん過激になってね
レースよりもストリートが楽しかったころ06シーズンのスーパーGTで大どんでん返しの末、RE雨宮のRX-7を駆り、GT300クラスのチャンピオンになった井入宏之選手。 そのチャンピオンを決めた最終戦は、100戦以上(GT選手権時代も含む)の歴史をもつスーパーGTの中でも、一、二を争うすごいレースだった。井入選手とコンビを組むドライバーが序盤でスピン。一時はポイントで絶望的となったチャンピオン。後半にステアリングを握った井入選手はそれでも果敢に攻め、ジワジワとポジションを上げ、最終ラップには7位に。 しかし、雨さんチームのセブンがチャンピオンになるための条件は、ライバルがノーポイントでも6位以上でチェッカーを受けなければならなかった。富士スピードウェイにいた5万人近くの観客のだれもが万事休すと思った。 ところがクラストップを走っていたマシンがガス欠で最終コーナーでストップ。これでRE雨宮のセブンを駆る井入選手は、6位でチェッカー。こんなことが起きるとは思っていなかったから、雨さんを始め、ほとんどのスタッフが、正確なポイント計算をしていなかった。 じつは雨さんちのセブンが6位でチェッカーを受けたため、ポイントは86ポイントまで伸びた。でもランキング2位のマシンも同じ86ポイント。同ポイントの場合、優勝回数で決められるのだが、ともに1回ずつ。となると、2位の入賞回数。雨さんちの2回に対し、ライバルは1回。ここまでもつれたレースは……。念願のチャンピオンと決まった瞬間、雨さんと井入選手は抱き合って大粒の涙を流した。 そんな雨さんと井入選手のコンビだが、昨シーンズンは入賞はあったものの、表彰台に立つことは一度もなく、悔しい1年だった。それが今シーズンは、開幕戦でいきなり優勝。タイトル奪回に燃えている。 その鍵を握る井入選手は、最初からレースの世界に憧れていたわけではない。19歳で免許を取り、最初に乗ったのはシビック(EF3)。「ウデもないのに、タイプDRだったかな? Sタイヤを履いてね。峠に行くのが日課!?で、レースは別世界だった」と言う。いわゆる走り屋だ。なにしろ、シビックを2台ツブし、あげくの果てに6ヵ月の免停……。それでも足を洗えないのが走り屋。 「このクルマに乗れない6ヵ月間で、お金を貯めることができてね。これがなかったら、次のクルマが買えず、違った人生を歩んでいたかも……」次に井入選手が購入したのはスターレットKP61。友達に誘われ、岡山県にある中山サーキットで開催される草レースを観に行った。このあたりで「レースもおもしろそう」と思ったと言う。そんな想いが芽生えだしたときに初のサーキット走行。レース形式の走行会で格上のマシンを相手に3位入賞を果たした井入選手は、その後、鈴鹿サーキットで本格的にレースデビューを果たす。 GT-Rをフルチューン ストリートで名を馳せるでも、思いのほか金がかかり、もう一つ真剣にはなれなかったという。やっぱり、ストリートの方がおもしろい! 95年に32型GT-Rを買い某所に……。「最初はブーストアップ仕様だったけどすぐにブロー。これはきっちりやらないとヤバイとショップのオートセレクトでエンジンを作ってもらって、タービンはT04Rだったかな。走れば走るほどハマって、タービンもT78、T88ってどんどん過激になってね」と振り返る。バブル期ということもあって、GT-Rに費やしたお金は1000万円近くになったらしい。 そんなときにFDセブンがなくなるということから、GT-Rを売りFDを新車で購入。「雨さんちのエアロをつけ、サスはクラックス、TE37だったかな、ホイールは……」。00シーズンにレースも再開。鈴鹿のシビックではチャンピオンになり、アルテッツァにステップアップしたものの、やっぱりお金が続かずスポット参戦。結局、3シーズン連続ランキング2位という結果に終わった。 そんなときに「ウチのGTマシンに乗らないか? って、憧れの雨さんに声をかけられたんですよ」と言う。「乗ります」と即答。 デビューレースこそ11位で入賞を果たせなかったが、この04シーズン2勝を挙げ、ランキング4位に喰い込んだ。05&06シーズンはBドライバーだったが、昨シーズンからはAドライバーとなり、チームを引っ張ることになる。 現在、雨さんから譲ってもらった3ローターのセブンが井入選手の愛車だ。「落ち込んだときでも、あのロータリーならではのサウンドを聞くとね。一気に元気がつくんですよ」。 井入選手もまた、ロータリーエンジンの魅力に取りつかれた一人であるのは間違いなさそうだ。 |
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