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影山 正美Masami Kageyama
あの時、ソレックスの調整も自分で……
まだ、17歳だったけれどね
初めてのクルマは兄と乗った310サニー「影山兄弟」と言えば、ちょっとしたレース通なら知っていると思う。 「あにぃ」と呼ばれて親しまれている正彦選手。そして、弟の正美選手。 80年代から90年代の始めにかけて、国内はもちろん、F1にも進出したレーシングチーム「レイトンハウス」出身。F3からF3000(現在のフォーミュラ・ニッポン)、さらにはグループA、スーパーGTでも活躍。となれば、多くの読者はエリートコースを歩んでいる兄弟なんだなぁと思うに違いない。 しかし……。影山兄弟というより、弟の正美選手はにわかには信じられないような人生を歩んでいた。 話は正美選手が中学生の時にまでさかのぼる。4歳年上の兄、正彦選手が「正美、レースやるからオマエも協力しろ!!」これがすべての始まりだった。「母子家庭だったのと、オレも勉強が嫌いだったから高校に行きたくなかった。中学と同時に働き、そのお金があにぃのレース資金になったんですよ」と……。 というわけで、正美選手が稼いだお金でサニーを購入。もちろん、新車なんて買えないし、ガレージでマシンを作ってもらえるだけの資金もない。自分たちでマシンを作る。そんな計画で購入した310サニーの中古車。 ところがマシンをイチから作るとなると、いくらかかるかわからない。どうやら、中古車のレーシングカーを買った方が安上がりだということに気がつく。大失敗! まさに「一歩前進二歩下がる」だった。 それでも正美選手が17歳の時、あにぃの正彦選手が富士でレースデビュー、すぐに影山兄弟は有名になる。とは言っても速さで有名になったわけじゃない。とんでもない兄弟……ということでだ。メカニックは17歳の正美選手。いくらなんでも無茶過ぎるだろう。その後、あにぃはレイトンハウスに行き、新たな一歩を踏み出す。 正美選手に残ったのは、最初に購入した中古車のサニー。レーシングカーにするためだったので、シートはビニール、ミッションが4速の12000デラックス。いくらなんでもこれじゃ、お話しにならない。でも、お金があるわけじゃない。解体屋さん通いが始まる。 1400tのエンジンに5速ミッションなどなど。「バケット?? まったく考えもしなかったですよ。元がビニールだったから、モケットのシートに替えただけでも、滑らなくなって感動しましたよ」という。 これで戦闘力がアップしたなんて、今のご時世ではまったく思わないが、当時の正美選手は、この解体屋仕様でも大満足。ルンルン気分で箱根に向かった。 走り屋仕様のハチロクが全盛の箱根。解体屋チューンの310サニーでは、当然のことながら勝負にならない。「ノンスリも入っていないし、タイヤもノーマル。ホイールを買うお金がないから鉄ッチンのまま……。悔しかった」と正美選手は振り返る。 雨の日の下り専門の峠でテクニック勝負それでも正美選手は箱根に通った。雨の日を狙って、勝負するのは下りで……。「これなら勝負になるし、実際、これで腕をみがいたようなもんですよ」と正美選手。タイヤを買う金もないから、解体屋で山が少しでもあるのを選んで買ってくる。グリップ力のあるタイヤを履きたくても、ノーマルのハブだから壊れる可能性がある。 もちろん、ぶつけても直す金がない。速く走るだけでなく、マシンの限界がどこなのか、壊さないための走りを、この解体仕様の310サニーで身につけた。それが、今の正美選手の安定かつ速い走りを作り上げたのは言うまでもない。 「思い出のパーツですか?? RSワタナベのホイールと、あにぃがサニーに付けていったソレックスかなぁ」。このRSワタナベのホイールは、いわゆる当時、人気だったマグではなく、アルミだったらしい。「走るためではなく、ファッションって感じかな。だから、ガンメタに塗って、見た目マグ仕様(笑)。箱根に行くときには鉄ッチンに履き替えていたよ」と、正美選手は笑って話してくれた。 そんな時代を乗り越え、レーシングドライバーとして開花するが、プライベートで乗り継いでいくクルマは、以外にも質素だった。青春時代をともにしてきた310サニーはオカマを掘られて全損。正美選手が次に乗ったクルマは「あにぃが乗っていたインパルのデモカーだったR31型スカイライン。これをを売りつけられてね。そんなサニーの後だから、ガンガン乗りましたよ。2度、エンジンも壊したかなぁ」。初めての新車は、正美選手にとって3台目となるY32型のグロリア。シーマに乗るようになったのは、ニスモ契約になってからだ。結局、正美選手はこの20数年間で意外にも6台のクルマしか乗っていなかった。 ![]() ローダウンサスペンション
本文中には出てこなかったが、310サニーに装着していたローダウンサスペンションも本人いわく「思い出されるパーツ」。つまり、ローダウンはしていたけれど、ショックはノーマルのクルマだったということ。
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